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2008年12月

2008年12月31日 (水曜日)

一年間お世話になりました。

いよいよ今年も終わりです。

私としてはいろんな事がありました。

5月から新しい会社に就職したことで生活にリズムが戻ってきました。

今年の正月「今年は寝たいときに寝る。腹が減ったらそのとき食べる。規則正しい生活を止めて、やりたいときにやりたいことをやる。」と宣言したが3ヶ月持たなかった。退屈な日々が続くと毎日が楽しくない。丁度友人が声を掛けてくれたので今のところ隔日勤務している。正月明けからは毎日勤務しようと考えています。

それから2年間掛けて廻った四国88ヶ所巡りを終えて高野山へお参りできたことは人生の一つの区切りが出来たような気がします。

来年から新しい人生が始まるような気力が湧いています。まだまだ現役で頑張ります。

一年間健康で過ごせたことに感謝します。来年も頑張ろう。

皆様大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。

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2008年12月26日 (金曜日)

貧乏性?

 年賀状を印刷し終わった頃、「ハイインクガイッパイニナリマス」というメッセージが出た。マニュアルを見ると「お客さま相談センターに連絡してください」と書いてある。早速連絡すると「使っていると必ず廃インクのタンクが一杯になります。新山口駅前の会社まで持ってきてください。1週間お預かりします。代金は約1万円です」とのこと。、「修理をするより新しい商品を買ってください」と言わんばかり。一瞬「えっ!」と思ったがそういう時代になっているのだろう。

 当時5万円ぐらいした複合機で6年間使っているが修理すればまだまだ使える。しかし、量販店の折り込み広告を見ると2万円も出せばいくらでもある。2~30Km先の小郡まで持ち込み、さらに受取に行くことを考えれば買い替える方が賢明なのかな・・・。

 子どもの頃から物を大切にすることを教え込まれた者にとって修理をすれば使える物を捨てることに罪悪感を憶える貧乏性は治らない。

 小沢昭一のいう「貧主主義」や「ビンボークラシー」という言葉が思い出されるこのごろである。  

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2008年12月23日 (火曜日)

エコバッグ

阪神タイガースのロゴ入りエコバッグをもらいました。

来年からレジ袋が有料化されるところが増える。

最近レジで「包装は要りません」と言うように心がけている。

この買い物袋は車に積んでおくと重宝しそうです。

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2008年12月21日 (日曜日)

新天町界隈

 中津瀬神社は市民に「水神様」と呼ばれ親しまれているが、今も名水が出るので水を汲んでいる人を見かけることが多い。この標識は旧山銀の前に建っているので今の水神様からは300mばかり西である。

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 青少年会館があるこの地は戦後はロータリーがあり動物園ができる前は一時ローラースケート場もあった。向かいのエムラは以前は宇部劇場という映画館があった。このエムラも今年いっぱいで閉店と聞く。宇部も一段と寂しくなる。

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2008年12月16日 (火曜日)

出張

明日から大阪・東京へ出張です。

年末のあわただしい中ですが行って参ります。

今週はブログを休みます。

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2008年12月14日 (日曜日)

今日の彫刻(209)

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「鳥とあそぼう」

山内壮夫(1960)

コンクリート

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東新川緑地

 この作品は地元の人しか知らないのではなかろうか?JR東新川駅近くの「七福ラーメン」のまえにある。古いからか管理が悪いのか、大分汚れている。彫刻をきれいにするボランティアのグループもここまでは手が回らないのだろうか。池の水も抜かれている。

 山内壮夫氏の作品はほかにもあり、こちらは有名で市民に親しまれている。

 「若人たち」(20.2.5掲載)、「産業祈念像」(20.7.8掲載)、「母のひざ」(20.7.14掲載)

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2008年12月10日 (水曜日)

霧の朝

今朝は霧が深く運転に支障を来すほどでした。

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海岸はもっとひどかった。

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今朝ベランダから

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今の状況  (13:20)

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大田・絵堂戦跡(2)

呑水峠の激戦地

 金麗社から萩へ向かって国道490号線を2Km行くとすぐ左側に「大田・絵堂戦役」の看板が見えてくる。

 諸隊と萩藩俗論派の戦いがピークに達した激戦地である。

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2008年12月 9日 (火曜日)

大田・絵堂戦跡(1)

大木津・川上口の戦い

金麗社のさらに奥へ行くと「大木津・川上口の戦い」の碑が見えてくる。

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2008年12月 8日 (月曜日)

来年の正月は長くなる???

 来年の正月は1秒長くなります。

 3年ぶりの閏秒が実施され、午前8時59分59秒と9時の間に59分60秒が入る事になっている。

 1秒の狂いもないと電子時計を自慢している友人がいるが、どのようにして合わせるのかな?面倒くさそう・・・・。

 私の時計はいつもいい加減です。1分・2分関係ない・・・・。日付も表示されるが、月初めに合わせるのを忘れているので今見ると今日は6日を表示している。

 その上、時々時計を忘れて外出するがあまり不便はない。

 何事も常に早め早めに行動すれば電車に乗り遅れることもないし、人に迷惑を掛けることもない。歳を取ってくると時間に追いまくられる事もない。

(しかし、時間が足りないなあ・・・)

参考:(http://www.soumu.go.jp/s-news/2008/080912_4.html

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2008年12月 7日 (日曜日)

金麗社(5)

句碑

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古鐘(杉孫七郎)(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%AD%AB%E4%B8%83%E9%83%8E

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2008年12月 6日 (土曜日)

金麗社(4)

殉難十七士碑

 大田絵堂で戦死した奇兵隊天宮慎太郎ら諸隊17人の供養碑である。墓は近くの光明寺にあるようだが、今回は行っていない。次の機会に是非行ってみたい。

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(写真をクリックすると拡大します。)

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2008年12月 5日 (金曜日)

金麗社(3)

大田邨碑

 大田・絵堂戦役の概要を刻んだ石碑です。

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説明文が小枝の影で読みにくいですが、次のように書かれています。

  癸丑(みずのとうし)の歳外艦浦賀に闌入す。此れより海内騒然たり
  ・・(略)・・是に於てか絵堂の戦有り。絵堂の地は拠守するに便ならず。
  諸隊は乃ち陣を大田に転じ数戦捷を奏す。・・(略)・・異日大政
  維新の盛を観るを得たるも、亦未だ嘗って此の役に基づかざるもの
  あらざるなり。…(略)…。

 全文はとても難しくて私には読めませんが、大田絵堂の戦いの概要が刻まれているようです。

 『正三位公爵毛利元昭篆額』とあります。毛利元昭は旧萩藩主で大田絵堂戦跡記念碑などの題字も書いています。

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2008年12月 4日 (木曜日)

金麗社(2)

 大田金麗社は、諸隊の本陣が置かれたところで、高杉晋作、山県狂介(有朋)、伊藤俊輔(博文)たちが作戦会議をし、戦勝祈願をした地である。境内には「奇兵隊献納灯籠」のほかに「大田邨碑」「殉難十七士之碑」などがある。

奇兵隊献納灯籠

 この灯籠は第2次長州征伐(小倉戦争)で高杉晋作が分捕ってきた戦利品である。

 「国家多難数公廟に祈る。内奸を誅し外賊を攘う。固より人力に非ず。今茲に丙寅八月小倉城を落とし、諸を延命寺に得以って大田駅に徒し詞前に奉り、聊か神助の萬分に報ゆ。奇兵隊」(碑文)

 元治という元号は本来は元年だけで、元治四年は慶応三年に当たる。当時の将軍は慶喜であるが、慶応は「慶喜に応ずる」ということになるので、彼らは慶応という元号を勝手に無視して元治を続けたのである。長州藩の倒幕に対する思いが伝わってくる。

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 奇兵隊はほかにも太鼓なども戦利品として持ち帰り、下関の厳島神社に奉納している。

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2008年12月 3日 (水曜日)

金麗社(1)

大田・絵堂の戦い

 幕末、長州藩は自主開国的「尊皇攘夷」を掲げ、下関海峡にて幕命による攘夷を決行し、外国船砲撃を繰り返していたが、幕府の策動により京から閉め出されることとなった。また、元治元年(1864)6月には京都池田屋事件が起こり、長州の志士たちが襲撃された。長州藩は事の真意を朝廷に伝えようとして京都進撃を行ったが、蛤御門の変で会津、薩摩藩に敗れ来島又兵衛、久坂玄瑞、入江九一などの多くの犠牲者を出し、朝敵の汚名を着せられることとなった。

また、同年8月には下関海峡において、英・米・仏・蘭の四カ国連合艦隊の報復を受け、決定的な打撃を受けた。このころ、幕府の発した第一回長州征伐の軍が四境に迫りつつあり、長州藩は内外共に最悪の難局を迎えた。

 これまでの藩の政治を握っていた革新派の周布政之助が自害し、蛤御門の責任をとって益田・国司、福原の3家老が切腹するなどして、藩の要職は保守派にとって変わり、革新派への弾圧が強化されてきた。筑前に逃亡していた高杉晋作が、この事態を憂い、元治元年12月16日ついに下関功山寺で保守派(俗論党)打倒の決起を行った。

 明けて慶応元年(1865)正月6日、長州藩萩政府軍と高杉晋作率いる下級武士を主体とした諸隊が、絵堂で戦闘の火ぶたを切った。いわゆる大田・絵堂戦役の開始である。戦闘は長登、川上、呑水、赤村でくり広げられ、正月16日に政府軍が完全に撤退するまで、約10日間の戦争であった。この戦いで両軍合わせて41名の死者を出し、長登、川上の民家は戦火にみまわれた。この戦いの意義は、奇兵隊などの諸隊の圧倒的勝利に終わり、長州藩の藩論が一変して倒幕となり、明治維新への道を歩みだしたことにある。大田・絵堂が、明治維新発祥の地といわれるゆえんである。(金麗社掲示文書より)

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鳥居には「應神宮」とあるが、祭神は菅原道真で、旧来「大田天満宮」「大田天神」と呼ばれていた。明治44年八幡宮を奉遷合祀して「大田八幡宮」と改称されたが、大正8年、山県有朋らの働きもあって、現在地に新たに造営された。

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社はふたつ並んでいる。

こちらが八幡様で

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こちらが天神様か?

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2008年12月 2日 (火曜日)

秋吉台の空

 日曜日は晴天に恵まれ他県からの観光客もあった。8,000歩ほど歩いてから金麗社へ。

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2008年12月 1日 (月曜日)

金麗社の紅葉

 金麗社は美祢市美東町道の駅の先にある。明治維新発祥の地と言われているところである。

 ここの紅葉は赤色と黄色のコントラストがすばらしく毎年来ている。いつもは落ち葉がきれいだが先日の風に掃かれてまばらだった。

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