佐々木小次郎の墓
散髪に行きましたが、超満員です。さて、どうしようかな?そうだ!佐々木小次郎の墓へ行ってみよう!!
と言うことで、行ってきました。
ナビを便りに阿武町役場を目指していけば、案内標識が出ており、難なくたどり着きました。1~2台しかおけない駐車場(?)で車を降り、今時分臭いのきつい栗林を抜け、200メートル、整備された山道を辿ると「佐々木小次郎」「ユキ」「粟屋元吉公(跡)」の墓がありました。
佐々木小次郎の墓
阿武町大字福田下、小字を小沢津といい、その山あいを寺ヶ浴と称します。ここは、慶長年間あるいはそれ以前から真言宗・正法寺という古寺がありました。
巌流島の決闘(慶長17年4月13日)で敗れた佐々木小次郎の妻ユキはキリシタンの信者でした。当時懐妊中のユキは小次郎の遺髪を抱き、折柄厳しいキリスト教の禁令により多くの信者とともに山陰の地に安全な居所を求めました。
ユキは、この地の正法寺に身を寄せ剃髪して尼となり、夫・小次郎の冥福を祈り菩提を弔うために墓を建て、その墓のすぐ下のお堂というか庵で一生を終えたといわれています。この庵は正法寺が太用寺に移った跡地に、ユキ尼が小さい庵を建てたとも言われています。 我が子に対する因果応報の絆を断ち切るために、小次郎の名を「古志らう」と変えて墓に記したとの言い伝えです。 小次郎の墓と並んで佐々木姓の墓が多くあり、今も佐々木姓を名のる家が地区内に数軒有り、末裔かとも言われています。 小次郎の墓の上の段には六面石 一基があり、妻ユキが信じていたバテレン墓と思われます。その隣りには粟屋元吉公の墓がありましたが、昭和53年に太用寺の境内に移されています。
(小次郎慕古の会パンフレット)




左の「佐々木古志らう」は小次郎慕古の会(阿武町役場福賀支所)のHPから借用しました。
私は宮本武蔵に興味を抱き、学生時代から「宮本武蔵」とある小説はほとんど読みました。そして、村上元三の「佐々木小次郎」も読みましたが、ユキという妻女の名前に覚えはありません。
堅いことは言わないで、パンフにあるとおりロマンに浸りましょう。
「静御前の墓」のある阿東町と隣の阿武町にこんなロマンがあるのが面白いではありませんか。
山口県は巌流島がある下関、小次郎が燕返しの剣を編み出した錦帯橋のある岩国など武蔵・小次郎伝説の地が多い。山口県には武蔵より小次郎贔屓は多いと言われている。面白いのは私の友人のT君が住職を務めている曹洞宗「大光寺」の縁起に「宮本武蔵の孫が津和野で開山した」とあった。これにはびっくりした覚えがある。
ネットで見ると小次郎の墓は他にも全国にあるようであるが、謎に包まれた剣士である。興味のある方はhttp://homepage3.nifty.com/ganryu/を見てください。
早々に藪蚊から逃れて、萩を廻り、吉田松陰の墓を参拝して帰路についた。

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